サテライト オブ ユウ
あの青の先
一万キロ彼方の、人口衛星のように。ケンちゃんは実は、めちゃめちゃ無口だ。
たいてい人はそのことを知らない。言ってもきっと、笑うだろう。そんなわけあるはずがない、と。
俺がそのことを知ってるのは、付き合いが尋常じゃなく長いからだ。幼馴染みという特権が可能にした長さ。それが産み出した結論こそが、「ケンちゃんは無口」だった。
それはオトナになればなるほどわかりにくくなっていったけど、今でも確実に、ケンちゃんは無口。
人とたくさんしゃべるのは、その人とはそのほうがうまくいくからで。
人と黙ったまま時間を過ごすのは、その人とはそのほうがうまくいくからだ。気持ちを、特に自分の気持ちを、言葉にしない。
それが苦手だからじゃない。むしろケンちゃんがしゃべる言葉は卓逸してる。日常的な言葉一つで、的を射る。
そのくせ言葉に表すことを人一倍しないのだ。おかげさまで無言でいるときのケンちゃんってのは俺はまったくお手上げだ。
しゃべっててもなに考えてんのかわからんのに、黙られたらすでにわかるわからんの領域じゃない。俺といるときのケンちゃんはよくしゃべる。たぶん俺もそれと同じがそれ以上よくしゃべってる。
だから俺には余計にわからない。
黙っているときのケンちゃんが、どーゆう状態なのか。
海は荒れてる。波が騒がしい。
でもたぶんこんな時のケンちゃんの胸の中の海は、シーンと静まりかえってただ空を眺めるだけなのだ。林立する高層ビルを眺め「なんか墓場みたい」と呟いたっきりケンちゃんは一言もしゃべらなかった。
真四角い鏡が連なったそこには真っ青な空が映りこんで。
ビルは青く輝く。だからこの街も青い。青くて、でもそれは空じゃなくて、海、みたいな。
すべてを拒絶する空じゃなく。
すべてを沈める、海、みたいな。俺は高層ビルが好きだった。
ビルに上った時の、この高さと冷たさが好きだった。
全身に強く凍えるような風を浴び。
見上げたその先、あの極寒の空に浮かぶ孤独な人工衛星を想った。東京の空は青い。
その下には「海」がどこまでも広がってる。「日本の美だね。」
不意に、俺の横に並んだケンちゃんが、呟いた。
指に挟んだ煙草から、細い煙が空にラインを引いている。ケンちゃんの視線を追った。
けどその先に俺が期待していたもの---少なくとも「美」と呼べるようなものは見つからなくて、俺はもっかい隣りに佇むケンちゃんに視線を戻した。「どこが?」
眼前には、ただ東京の巨大ビルが立ち並ぶのみだ。
白い煙は青い風景を割っていた。ケンちゃんは煙草を挟んだままの指で、適当に中空をなぞった。
俺はその動きに目を奪われて。「単一デザインの繰り返し。無限ってかんじじゃない?」
四角く区分けられたビルの窓をその指は指し示していた。
四角はどこまでも連なってる。空へと、空へと。
無限に繰り返していくように。「そうやね。」
だから俺は高層ビルが好きなんかな。
日本の美。無限の繰り返し。「畳みとか障子みたいな。俺には、ビルが障子に見えるわ。」
ケンちゃんは笑ってた。
どこの世界に近代的1面ガラス張りの高層ビルを眺め、「障子みたい」などと評する人間がいようか。
俺は、この感性がとてつもなく羨ましい。世界をひっくり返す感性だ。あらゆる意味でケンちゃんは異端だった。
昔も、今も。コンクリートと鉄筋とガラスで構成された東京の「障子」群、その上には、無限の空間に漂う人口衛星が。
ケンちゃんはまるで人口衛星のよう。
一万キロ先で、凍える宇宙を漂流する、孤独な肢体。
俺はいつもそれを見上げるだけだ。
同じ世界に生きて、違う世界を見ている人。
こうして隣に立っていることが、ときどき俺は不思議になる。
「障子ってさ、破んのきもちええよな」
子供の頃、張り替えの時期にやった手伝い遊び。
使用済みと認定。許可を下された障子紙は好奇心と快楽を求める短い指に突き破られてボロボロになる。
「あれめっちゃ好きやったわ」
「どれだけ血を出せるかっていうのと、どっちが好きやった?」
俺の問いかけにケンちゃんがふいにこちらを見た。
ガラス玉みたいな瞳。感情を隠しているのかどうかすら読めないこの目に俺が映って、空が映って、海のように溶ける。
「どっちも」
微かに感じることができる嬉しそうな声。相変わらずのその目には、こっそりと狂気が確かに、あった。
この目で世界を見てみたいと、俺は思う。
地球の軸を中心に、回りつづける人工衛星。プログラムされた軌道は、けれど宇宙のそれを越えることは決してない。
地に立って見上げる俺と。
遥か彼方の上空から発信を続ける、見えないけれど確かにあるもの。
ケンちゃんの世界は広がらず縮まない。絶対的なラインで画一されて切り取られたあの空のように。
そしてそこには、漂う衛星。
けれど空は海を映す。
凍える宇宙の色は海にのまれて青くなる。
「・・・もう、行こーや。風邪ひくで」
俺は見上げ続ける。
この声に、無言で頷くあなたがいるから。
それだけで俺は、地に足をつけていける。
見上げることしかできないここから、
ずっと空の彼方を見つめてる。
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