日々精進
とある日の出来事だった。
カタンッ
「あ。」
間抜けな声を上げたときには、すでに手遅れで。
「あ、あ、あ、」
わたわたと慌てている間に、こぼれだした液体はますます机上に広がっていく。
平静を取り戻し急いで倒れた紙コップを起こし直すが、かなしいかな中味はからっぽ。
中を満たしていた液体は、すべて机に流れ出てしまっていた。
「あ〜あ・・・」
ぼんやりと紙コップの空洞をのぞきこんで、しかしたいして反省の色はない声で、ハイドは小さく呟いた。
ちょーっと肘当たっただけでこぼれるなんて、やわい紙コップやのぉ〜
とりあえず責任を紙コップに転嫁してみてから、こぼれだした液体を観察する。
一体誰のやろ、と考えてみるが、ハイドには机上に広がった液体の正体がイマイチわからない。
一見すればカフェオレのような色で、匂いは・・・不思議臭。
なんとなく卵な匂いがするのは気のせいだろうか。
なんにせよこの得体の知れぬ飲みモノの持ち主を見つけだして早々に謝っておかねば、あとあと面倒なことになりそうである。
食い物の恨みは怖いのだ。
そんなわけで探偵ハイド、狭い事務所の中を、紙コップの持ち主探しにでかけたのであった。
「会議室出たとこの机に紙コップに入ってたなんか茶色系でカフェオレっぽい不思議な匂いのする飲みモノ置いてたのアナタですか?」
「あっこ出たとこの机に紙コップになんかよくわからんカフェオレっぽい茶色いもん置いてたのアナタですか?」
「あっこの机に紙コップでなんかカフェオレみたいなん置いてたのアナタですか?」
「あっこにカフェオレみたいなん置いてたのアナタですか?」
「あっこにカフェオレ置いてたのアナタですか。」
持ち主探しをはじめて30分、いい加減ハイドの説明もだいぶ短絡化されつつあった。
あきらかに説明不足でしかもぶしつけな質問に、テツは眉根を寄せる。
「いや、俺ちゃうけど。どうしたん?」
「こぼしちゃってさーでも誰のかわからんねんー。」
疲れたーとハイドは白々しくため息をつき、肩を落とした。(←スローペースで歩き回ってただけのくせに)
「ふーん。カフェオレか〜誰のやろ。どこにあったって?」
「あっち〜。」
テツが人好しにも協力する姿勢をみせてくれるが、当のハイドはやる気なさそうにのんびり廊下の向こうを指差す。
おそろしいほどアバウトなハイドの説明も長年の勘で汲み取ったらしいテツは、
「会議室の入り口のとこ?あんなとこに飲みモノ置く人なんかあんまおらんよなぁ。」
腕組みしてうーんとうなりながら、それでもハイドにアドバイスしてあげる。
「ミーティングのまえに、あそこでスタッフとケンちゃんがしゃべっとったで。ケンちゃんに聞いてみたら?」
「ラジャ〜リーダーありがと〜。」
にこやかにテツに手を振りきびすを返したハイドは、さっそく情報をもとに聞き込みを開始した。
「さぁさぁさぁ吐いちまいな!犯人はてめぇだろうキタムラさんよぉ!」
「は?」
せっかくテンション上げていったというのにあっさりきっぱり淡白に言い返され、ハイドは思わずがっくりとうなだれた。
一気にテンションはダウン収束する。
「なにしてるん?警察ごっこ?」
「いんや、探偵ごっこ。」
ぷるぷると頭を振って、ハイドはさっきと同じくだいたいの方向を適当に指差した。
「あっこの机にさぁ、カフェオレ置いてんかった?あれケンちゃんの?」
「カフェオレぇ〜?ちがうと思うけど。」
犯人探ししてんの?と聞いてくるケンに、そう、と答えた後、ハイドはどっちかというと被害者を探してるのだということをふと思い出した。
まぁそんなことは彼にとってはどっちでもよかったが。
「えぇ〜?ほんなら誰のなんやろ〜〜」
「ユッキーは?聞いてみた?」
「ユッキーはカフェオレやなくてコーラな人やもん〜絶対ちゃうわ〜」
頭を抱えて座りこんでしまったハイドは、もう疲れたー動けへーん、とだだをこねている。
両手を床について足をジタバタさせる様子はまるで子供である。
そのハイドの両手をつかんでよっこいしょとムリヤリ起こしながら、ケンが、
「まぁ一応聞いてみましょー。」
「そーしましょー。」
どうやら一緒に付いてきてくれるらしく、ハイドはようやく重い腰を上げ、えっちらおっちら2人して歩き出した。
「いや、俺は知らないよ。」
「っえぇーーーーー?!」
ユキヒロの解答に不満を隠しきれないハイドは思いっきり不満そうな声を上げて、背後からケンにパチンとはたかれた。
イターとちょっと後頭部をさすりつつ、大袈裟に天井を仰ぐ。
「もーーー事務所のほっとんどの人に聞いたでーーーもうイヤやーー俺は今日ここで死ぬんやーーー」
「なにわけのわかんないこと言ってんの。」
ユキヒロは笑いながらそのハイドが絶望に打ちひしがれている様子を傍観している。
「もうええんちゃうー持ち主も気付いたらなんかゆってくるってー」
ケンもすでにダレて狭い廊下でやくざ座りしていた。
なにやらあきらめムードがむんむんと漂い始めている。
「あ。でもさー俺今日下の自販機で、テツがなんか買ってんの見たで。」
「じゃあテツくんなんじゃないの?」
「うーーでも紙コップ無地やったで?自販機のって、ふつうネスカフェとかコカコーラとか書いてない?」
聞いてみたけど知らんっていってたし、とハイドが付け加え、3人はまた腕組みをしてうーんと考えこんだ。
「そもそもさ、それってほんとにカフェオレだったの?」
「うーん、そうやと思うけど・・・」
尋ねてきたユキヒロに向かって、ハイドはもう1度自分でもあのときのことを回想してみた。
「なんか、茶色いっぽい・・・ちょっと黒っぽかったり・・・わりとドロッてしてて・・・そいでなんか不思議な匂いがした・・・」
「それってカフェオレちゃうやん。あきらかに。」
「ちゃうかな?」
「うん。」
ケンのツッコミにも真顔のハイド。
ユキヒロはさらに質問を重ねてくる。
「不思議な匂いって、どんな?」
「うーんと・・・なんかなぁ、卵?みたいな・・・」
「タマゴォ?」
とたんケンが素っ頓狂な声を上げ、しかも唐突に笑い出した。
ハイドとユキヒロは、思わずきょとんとして。
「それってさぁ、もしかしてプレーリーオイスター?」
「なにそれ。」
聞き覚えのない単語に、ハイドは真顔のままケンに聞き返した。
「ハイドがこぼしたのんって、俺お手製のカクテルやわーきっと。二日酔いに効くねんよー。」
ケンはけらけら笑ってそう説明した。
なにそれーとハイドがその場で脱力してると、遠く廊下の向こうから聞き慣れた声とやかましい靴音が響いてきた。
「ハイドわかったでーーーアレやっぱりケンちゃんのやわーーー!!」
「リーダーありがたいけど遅いよ・・・」
息を切らせてやってきたテツをハイドはため息で迎える。
無情にも彼の善意はムダに終わってしまった。
ものがなしく沈没している2人を横に、ユキヒロは興味が湧いたらしくまだ笑ってるケンに尋ねかけた。
「そのプレーリーオイスターの材料はなんなの?」
「えーとね、卵黄にぃ、ウスターソース混ぜてぇ、トマトケチャップにお酢にコショウにぃ〜」
「もういい。勘弁して。」
あまりにどすぐろいその材料の混ぜ合わせに、ハイドは自分の口元を押さえながらケンを制した。
あの不思議としかいいようのない匂いにも、納得がいくというものである。
かくして探偵ハイドの初仕事は無事解決へと至ったわけだが。
はたして彼がどこまで探偵としての役割を果たせたかは、甚だ疑問であった。
「今度ハイドに作ったげよか?特製のプレーリーオイスターv」
「いらん。」