trick the trap
その日のハイドの機嫌の良さは、異様なほどだった。
「なんかあったん?」
あまりににこにこと嬉しそうに笑ってるので、(不気味がって)テツが尋ねてみても。
「別にー?」
と言いながらハイドの口元は完全にニヤけている。
去りゆく後ろ姿を見ていても、足は自然とスキップを刻んでいて。
とにかくテツはおそろしくイヤな---しかも不幸にもよく当たる類の、---予感を覚えたのであった。
風邪をひいてだるい体でぼんやりとミーティング用のイスに座っていたユキヒロが、まさに最初の被害者となった。
「ぅえっくしょ!」
派手にくしゃみをして鼻をすする。眼前をスタッフが忙しそうに行き来していて、眠たそうな目でユキヒロはその慌しい様子を眺めていた。
「ユッキ。」
呼ばれて振り返ると、満面の笑みを湛えたハイド。
「風邪ひいてんねんてなぁ。これでも食べて、早よ元気になってな。」
そう言って、両手で差し出されたのは、途中まで銀紙が破かれた板チョコらしかった。
「オレもういらんから、食べかけでよければ。」
「あぁ、ありがと〜。」
熱で思考回路がほとんど機能していない状態で、ユキヒロはハイドから食べかけのチョコを受け取る。
そのまま食べようと口にもっていきかけると、「お大事に〜」と言い残しハイドは逃げるように去って行った。
なんだろうと思いながらも、ユキヒロはとりあえずいただいたチョコを一口パクついてみる。
が。
「・・・・・うえぇ〜〜!」
思いっきりカレー味だった。
「げほっ、げほっ・・・」
「大丈夫〜?」
「なんのさわぎですか?」
むせてるユキヒロとそれを介抱しているテツのもとに、のんびりとした口調でケンがやってきた。
ケンを見上げて、自分の膝の上に頬付いたまま、テツ。
「ユッキーがカレーのルウ食って死にかけてんねん。」
「また変わった嗜好やね。」
ルウて、と小さくツッコんで、ケンも2人に並んでミーティング用の椅子に腰掛ける。
げほげほこけほと咳をしているユキヒロの横で、テツは平和に自分のカバンの中身をあさりながら説明を付け加える。
「なんかハイドさんにさも板チョコかのよーに細工されて、『あげる』ゆーてもらってんて。」
「またあの悪ガキか。」
今まで何度もその被害に遭ったことのあるケンだったが、他人事のようにのんきに笑っていた。―――その油断がのちのち不幸を呼ぶのだが。
「そういや今日朝からめちゃめちゃ機嫌良くてさぁ、なんかたくらんでるなーとは思っててんけど・・・ってなんやこれ。」
カバンの中から小さなオモチャだのテープレコーダーだの取り出して机に置いていっていたテツは、奥底から見慣れない紙片をひっぱりだしてきた。
それはなんの変哲もない、ただの折り畳まれたメッセージカードのように見えたのだが。
テツがその紙に手をかけた瞬間。
ガサガサガサガサァァッ!!
「ぎゃーーーっ!!!」
突然に触れた紙の中味が震動音とともに飛び上がるように暴れて、思わず悲鳴を上げながらテツはその紙ごと部屋の隅に投げ捨てた。
ぜーはーと肩で息をつくテツの横で、ケンとユキヒロも反射的に思いっきり後ずさっている。
数十秒の時が止まってのち。
「なんやねんな、もう〜〜〜」
1番最初に平素に戻ったケンが、おっかなびっくりちょっと引きながらも、テツが放り投げたその紙をひらいに行く。
地面に無造作に落下したそのカードのようなものは、もう微塵も動かないで、折り畳まれた中には輪ゴムで両端をくくりつけた五円玉がぴんと張られていた。
よく子供がやっている、騙し遊びのたぐいである。
「めちゃめちゃ幼稚ぃ・・・」
「もーーーほんまにびっくりしたわ!!」
「ごほごほっ、げほっ・・・」
あまりにその単純な仕組みに思いっきりビビッた無駄を知り、ケンが呆れて呟いていると、復活したテツが胸に手をあててごく正直に驚嘆を口にした。
ユキヒロは驚いたぶん、余計咳が悪化しているようだった。
「ハイドの仕業やなーこれ!ちょっと悪ガキ捕獲してくるわ、捕獲!」
「あ、テツ、俺のタバコ知らん?」
とにかく驚いた勢いで怒ってるらしいテツの走って出ていく後ろ姿にケンが問いかけると、コーヒーメーカーの横!という元気な声が返ってきて、そのままテツは廊下を走って行ってしまった。
ああなるともう誰もリーダーを止められないことは承知済みなので、とりあえず悪ガキはリーダーにまかせて一服しようとケンは部屋の隅に設えてあるコーヒーメーカーの方に体を向ける。
彼の言葉通りそこにはどこに置いたか忘れていたケンのタバコケースがあった。
さすがリーダー、と感心しつつタバコを一本抜きとって口にくわえる。
ふと、視界に入るユキヒロの姿。
「タバコ吸わんほうがいい?」
「いや、だいじょうぶ〜」
完全に熱に浮かされたようなぼんやりとした顔で言われてもあまり説得力は無かったが、ここは一応外で吸おうとミーティングルームを抜けながらケンがくわえていたタバコに火をつけた、その瞬間。
パンッ!!
唐突な炸裂音とともに火のついたタバコの先端が小さく破裂して、ケンは思いっきり後ろ向きにずっこけた。
逃げ回っていたハイドを捕獲したテツがミーティングルームへ帰還してきたのはそれから10分後のことだった。
「さぁ、思う存分いいわけしてもらおか〜」
「リーダー、目が怖いです。」
のんきに視線を逸らしているハイドに、詰め寄っているテツ、その後ろでカレールウや紙片、破裂したタバコなどの証拠品を持っているケンと、ユキヒロは相変わらずイスに座ったまま机に突っ伏していた。
「少々のイタズラなら目をつむります!けどな、病気のユッキーにカレーのルウ食わせるわ、俺の心臓止めるような、あれゆっとっけど犯罪行為やで!俺が心臓発作で死んだらどうすんの!」
「むしろ一番傷害事件に近いのは俺やと思うねんけど・・・」
したたか打ちつけた後頭部に手をやってケンは小さくアピールするが、勢いにのったリーダーはもとより聞いてもいない。
びしっと指をつきつけて詰問するテツは非常に勇ましかったが、そ知らぬ顔で明後日の方向を向いているハイドに勝てるかどうかは微妙だった。
それでもテツは負けじと詰め寄っていく。
「ほれ!なんであんなことしたんか吐きなさい!」
「だってケンちゃんが悪いねんも〜ん」
「俺ぇ?!」
突然話の矛先が自分に向かってきて、ケンは思わず声を裏返した。
拗ねたように口をとがらせて、ハイドが続ける。
「俺がわざわざ豆から淹れたコーヒー、ケンちゃん無断で飲んだやろ!」
「・・・・あ。」
今度はハイドがびしっとケンに指を突きつけてきて、ケンはしばし視線を漂わしたまま黙考する。
「・・・ほんまなん、ケンちゃん。」
「いやーだってさ〜、普通の紙コップにいれてあったし、みんなに聞いても誰のか知らんゆーから、あとで金返すからいただいちゃお〜って思って。あれハイドのやったん、ごめんごめん。」
テツの冷たい目線もなんのその、ケンはほにゃら〜っと笑って、あっさりと事実関係を認めた。
数秒の沈黙。
瞬間、テツはがばっとハイドの方を振り返った。
「じゃあ俺とかユッキーへのあのイタズラはなんやったん?!」
「んー、趣味?」
「きーっ!かわいいから余計腹立たしいわ!」
小首を傾げるハイドを怒る気にもなれず、テツはむなしくその場で地団太踏んだ。机に突っ伏したユキヒロは会話が聞こえてるのか否か、ピクリとも動かない。
結局なんだかよくわからない虚無感とともに、その日は1日幕を閉じたのだった。
「今回のイタズラはまたなんか唐突やったな。」
「うん〜、まぁ最近めちゃ忙しかったし。たまにはこうやって遊んで1日暮らさんと。軽い息抜きにでもなればね。」
「素直やないね、ハイドさん。」
「お互いにね、ケンさん。」
「けど俺へのイタズラはちょっと本気やったやろ?」
「うん、わりと。」
にっこり笑顔をかわしながらも、ケンは「ハイドだけは敵にまわしたくないわ。」と心の中でひそかに呟くのであった。