遠い夏の日差しに。
ジーッ、ジージージーッ・・・
空を突き破るような蝉の断末魔が夏木立に響き、テツは思わず顔をしかめていた。
真夏の山道は、それでもコンクリートの道路を歩くよりはまだ日差しもやわらかく、とりあえず色濃く落ちた木陰を選んで登り続ける。
今年は猛暑だ。それは故郷に帰るたびに思った。
適当に広告でくるんだ花束から、水滴が飛ぶ。
山道は平坦でさほど勾配もないが、炎天下の山登りはツライ。もちろん厚底ははいてないが、それでも日頃の運動不足を痛感せざるえなかった。
蝉が、一夏の悲鳴を上げている。
青々とした緑に刺さる光が目に痛かった。
子供の頃から慣れた山道を歩き、小道に分け入って行くと、入れ替わるようにして壮年の老女とすれ違った。首が折れしおれた花束の入った桶を持つその曲がった姿は、痛々しく映る。
どこかで見た顔だ、と思うからには近所の人なのだろう、小さく会釈すると、老女は汗を浮かべた笑顔を向けた。
そのまま老婆を見送り、彼女が下りてきた小高い丘に出る。
切り開かれた山肌に、実にさまざまな格好で、冷たい墓石が林立していた。お盆とだけあって、ほとんどの墓石は水に濡れ、鮮やかな花に飾られている。
町を見下ろす形で並ぶ墓石群を通り抜けながら、テツはひとつひとつ、墓石に刻まれた名前をなんとはなしに眺める。
水滴に光る滑らかな石の表面が、ちょっとした涼しさを演出していた。
何列にも並んだ墓石の真ん中あたりで、テツはちょこんと足を止めた。
周囲の墓よりさらに多くの花束に彩られた硬質のそれ。
刻み込まれた名前に、彼はじっと見入った。
とりあえず花束をそばに置いて、その場にしゃがみこむ。
後頭部に突き刺さる真夏の光線を感じながら、テツは静かに合掌した。
ジージージーッ・・・・
ジジーッ・・・
涼やかな風の音を、蝉の喧騒がかき消した。
じっとりと、肌に汗がにじむ。
彼が死んでからもう3年が経った。
ゆっくりと目を開けて、眼前に刻まれた硬質の名前を見上げる。
見慣れたそれは、夏の強烈な光を受けて、まるでテツに圧し掛かってくるようにそびえ立っていた。ただの石のはずなのに、なんという威圧感か。それは夏の日というこの1シーンが、さらに助長させていた。
彼が死んでからもう3年が経った。
若すぎる死だと、周囲は嘆いた。
ただ茹るような真夏日に死んだことが、ただそれだけが彼には似合いすぎると、テツは思った。
幼い頃から遊びを共にした彼らを一番強く結びつけたのは、やはり音楽だったのだろう。
中高時代、共に過ごした日々は今でも夏の日差しのように強烈で。
テツはいつだって彼に鮮烈な光を感じていたし、それは彼とて同じであった。
その確信があるからこそ、彼らは仲間であった。
彼の生み出す弦の響きに、誰よりも酔わされていた自信がテツにはあった。
学校帰りに一緒に寄った楽器屋はいまだに彼の匂いを残していたし、夏の日にはいつだって彼の笑顔を思い出した。
しゃあないなぁ、テツは。
そう言って笑う彼の顔が、まさかこんなにも痛切に思い出せる日がくるとは。
先輩の家に2人で押しかけて夜を徹したあの日は、まだ遠くはないというのに。
若すぎる死だった。3年経った今、そう、今になって、テツは実感していた。
ジジッ、ジーッ、ジーッ・・・
湿った地面から湧きあがる熱気に、蝉の声はいっそう高まった。
ガサガサッ
草をかき分ける音に振り向くと、青葉の間からぴょこんと知った顔が飛び出した。
「遅いで〜、ケンちゃん。」
気付けばしびれていた足を伸ばして立ちあがり、テツは丘を上ってきたその人物に笑いかけた。
ごめんごめんと笑っているケンの左手には、水がいっぱいに入ったバケツが提げられている。
「さっき下の水道のトコで向かいのオバチャンに会うてさぁ、ちょっとしゃべっててんよ。」
ああ、さっきのおばあさんか。
うなづいて、ケンが持ってきたバケツと杓を受け取った。
ケンが眼前の石に向かって手を合わせてる横で、テツは杓でバケツの中揺れる水を墓にまいた。
透明な水飛沫に真夏の日差しがキラキラと光り、滑らかな石の表面を美しく飾る。
ジーッジージーッ・・・
水の跳ねる音と蝉の鳴き声だけが、夏の馬鹿みたいな青空に響く。
額にじっとりと汗がにじみ、テツは手に持った杓を置き、頭上を振り仰いだ。
夏の痛いほど青い空に、真っ白な輝きが強烈な日差しとなってそそがれる。ときどき吹き抜ける風に青葉が重なり合っては、涼やかな音を奏でていた。
すべての声をかき消そうと叫ぶ蝉。
「今年は猛暑やなぁ。」
広告にくるまれた花束を水に差しながら呟かれたケンの言葉に、テツの脳裏に遠い夏の日の声がよみがえった。
今年は猛暑やなぁ。
遠い日のその声に、毎年言ってるやん、と笑った自分の声が重なる。
鮮やかに色を放つ空を見上げたまま、テツは白熱の光線に右手を掲げた。
お前が毎年猛暑や猛暑やゆうから、今年もこんなに暑いんやわ。
振り仰いだ夏の青空から、なつかしい笑い声が届いた気がした。
「帰ろか。」
振り返ると、濡れた墓石を背後に、ケンが笑っていた。
「うん。」
笑い返してから、「また来年来るわ。」と石に言い残して、彼らはその場を後にした。
ジーッ、ジージージー・・・・
喧しく叫ぶ蝉の鳴き声が、真っ青な空へ吸い込まれていった。