久方振りに訪れたケンチャンスタジオ。
先入っとってと中に通されて、とりあえずスタジオ内に1人入ったが、客を待たしたまま部屋の主はなかなか現れず。
ハイドはひまを持て余して、なにか新しい機材は入っとらんのかと部屋の中をうろうろ探索していたとき。
目に入ってしまったのだ。その文字が。
さまざまなソフトが詰まれた機材のうえに、説明書やら楽譜やらなんやらと一緒に埋まっていた白い紙片。
決してきれいとはいえない字体で、はっきりと、「遺書」。
「・・・・・」
まぎれもないそれはこのスタジオの主の筆跡で。
だいたいこの人が書くとなんかシャレにならんわ、と思いながらも、なんとはなしにそれを手にとって見る。
したらばそれは封筒などに入ったちゃんとした紙などではなく、本当に思いつくまま適当にそのへんにあった紙に書いたらしく、「遺書」と書かれた下からさっそく本題にはいっていた。
つまりは意図せずとも目をやれば読めてしまうのである。
人の手紙を盗み見るのはどーかなぁと思いつつも、ハイドは「まぁいっか、遺書やし。」とよくわからないいいわけをしといて、一応スタジオの入り口に背中を向けて、立ったままそれを読み始めた。
「遺書」
拝啓。
「遺書に拝啓ってなんかハイセンスやなぁ・・・」
さすがケンちゃん・・・と小さく呟いて、再び文面に目を落とす。
拝啓。
桜のつぼみもようやく膨らみを帯びて、あたたかい風を感じる今日この頃。みなさんはどうお過ごしでしょうか。
えー、書き始めたのはいいものの、遺書書くんて初体験やから何書いたらいいんかわかりません。
書くことないならこんなん書かんでええやんって話やねんけど、運良く病院とか家とかで死ねたらええけど、道歩いてたら飲酒運転の車が突っ込んで来て潰されて一瞬で死んでしまうこともあるから。
とりあえず少しくらいはまともな俺の言葉を残しておこうと思います。
遺書っちゅーからには死について書かなあかんもんかなぁと思うけど、考えてみれば自殺するわけでもなし、死ぬ理由はありません。
ただまぁ、どんなカタチにせよ、死ぬとしたら、ただその時がきたんやなって思います。
俺自分のことようわからんけど、たぶんあっさり死ぬタイプです。前触れなく。みんなが「ええっ?!」って驚くくらい。
でももしあっさり死ねんかったら、たとえばお姫様のキスでも目覚めんかったら、誰でもいいんであっさり殺してください。
まぁそれが、唯一の遺言です。
葬式とかはしてもせんでもまかせるけど、命日には酒盛りくらいしてください。そいで俺にもちょっとはお酌してくれたらうれしいなぁ。
もしできれば、死体はダムの壁にでも埋め込んでもらえるとありがたいです。
死ぬことは人生で1番大切な一大行事で、なんかお祭みたいなもんやと思います。
俺は反省とか全然せぇへん奴やから、お別れの言葉なんか絶対言わへんやろけど。
いつかそんときがきたら、臆病にも言ってしまうかもしれません。ごめんね。今から謝っときます。
飽きてしまったのかそれとも書きかけなのか、文字の羅列はそこで終わっていた。
が、後者の場合書き終わったらもしやしたら行動に移すなどとゆーこともありえないことはないので、とりあえずその紙は楽譜やなんやらの奥底に封印してしまうことにした。
いそいそとハイドが片していると、ようやく当の本人が「お待た〜」とスタジオに入ってきた。
盆にのせて持ってきてくれたお茶と茶菓子をつまみながら、とりとめのない日常会話を楽しむ。このぶんでは真の目的の仕事を始めるのには、まだまだ時間がかかりそうだ。
ケンはいつもとなんら変わらぬまま、ハイドの話に無邪気に笑い転げていた。
しかし後から考えてみれば、もしかしたらあれはわざと俺に読ませたんちゃうやろか、とハイドは思ったりもした。
なにか、どこか、ケンちゃんにしてはめずらしく―――
読み手に依存してるように、感じたから。
まぁ手紙というのはそうゆうものかもしれない。
読む人が解読する古代文字なようなものだ。
あの手紙をいつか再び読むことがないように願って。
彼の内部が少し暴かれた手紙は、まだスタジオの隅に眠っている。