ベレッタを、男に向かってまっすぐに、そしてそのまま腕を振り上げ天井に向けた。
パンッ、
パリンッ!
天井の蛍光灯が砕け、細かいガラスが飛び散る。
しかし男は降り注ぐガラスをまったく気にしない様子で、ユキヒロに向かって突っ込んで来た。
放電する電子をまとった堅固な拳が、風を薙ぐ。
常人を上回るスピードのそれを最小限の移動でかわし、男の脇腹に膝蹴りを放つ、が。
それより一瞬早く、男が腕でガードにはいった。
しまった!
近付き過ぎたユキヒロの膝と男の左腕のあいまに、放電が起こる。
バチィィッ!!
「うわっ!!」
まるで小さな雷のような紫色が走り、次の瞬間にはユキヒロは吹っ飛ばされてすっ転んでいた。
すぐに体勢を立て直そうと起き上がるが、床についた手がやたら滑って危なっかしい。なにかと思えば血だまりだった。
ついた血を床になすりつけ、その辺に転がる死体には目もくれず、ユキヒロは電気に弾かれた右膝のようすを見ながら無造作に立ち上がった。
コイツ、思ったより速い。
上半身と上腕筋がかなり鍛えられてるから(しかも腕は鋼鉄製である)スピードもそれなりに落ちるだろうと思いきや、その分下半身も頑強だ。
男は腰を低く落としてかまえた姿勢のまま、こちらを見てニヤリと笑みを見せる。
「油断したな。触れなければ大丈夫だとでも思ってたか?丸焦げにされたくなけりゃ近付かねぇほうが賢明だぜ。」
「ご親切にどーも。」
つま先をつけ右足首をぐりぐり回しながら、ユキヒロもいつもの調子で返した。
男は、全身をこちらに向け、
「来い、さっさと決着つけちまおう。」
「そっちから来なよ。」
「余裕だな、では遠慮なく行くぞ。」
ぐ、と一瞬体を沈めさせ、弾丸のようなスピードで、男が突っ込んでくる。
電流をまとった腕が目前に迫り、しかしユキヒロはそれと同じ速さで後方に飛び退いた。
そしてまた天井に向けたベレッタが、蛍光灯を砕く。
パリンッ、パリンッ!
「これぐらいじゃ俺はひるまねぇぜ!」
細かいガラスの雨の中を突っ切って、男は拳を振りかざす。
それをギリギリで避け、しかしかまわずにユキヒロはまた近くの蛍光灯を撃ち抜いた。
男の容赦ないパンチがなんども撃たれるが、まったく反撃せずユキヒロはただただ避けるばかりで、はたから見れば防戦一方なのだが。
「なぜかかってこない!」
男は苛立った口調で叫ぶ。
それでもユキヒロはやはり何も応えないまま、ついに壁際近くまで追いつめられた。
行く手に男が立ちはだかり、男はじっとユキヒロを正面に見据え睨みつける。
すっ、と、再び上げられる腕。
一瞬身構えた男を通り過ぎて、ベレッタの銃口は天井に向けられ。
バンッ!
パリンッ
何個目かの、蛍光灯が割れた。
男は、眉根を寄せ狼狽した様子で、奇怪な行動をするユキヒロを見る。
ユキヒロは、いつもの気合の入ってない表情でだらりと立っていた。
「おまえ、何を考えてる?」
「や、別にたいしたことじゃないんだけどね。」
辺り一面には割れた蛍光灯のガラスの破片が飛び散っている。
ユキヒロはなんとなしにそれらに目をやり、軽く肩をすくめて、
「たまには、ケンちゃんを見習ってみようかなーと思って。」
「・・・なんだと?」
バンッ!!
男の訝しんだ声は、突然響いた鋭い銃声にかき消された。
ありえないスピードで天井に向け撃たれたベレッタの銃弾は、早撃ちとは思えぬほど正確に、火災用スプリンクラーのヘッドを撃ち壊す。
とたんものすごい勢いで噴出した水は、その真下にいた改造人間の男に容赦なく降り注いで。
バチバチバチバチィィッ!!!
「ぎぃやああああああああっっ!!!!」
紫色の太い電流が男の体を舐め回り、炎と化して爆発した。
絶叫に顔をしかめ両耳を塞ぎながら、ユキヒロはのた打ち回って苦しむ男から一歩離れる。
スプリンクラーの水は四方に飛散していたが、足元に散らばった蛍光灯の細かい破片が絶縁体になって感電は免れた。
数秒間、屈強な男の体は炎と電流に呑み込まれ激しくもんどりうっていたが、やがてぱったりと動かなくなり、真っ黒い塊だけがぶすぶすと煙を吐いていた。
肉の焼ける独特の臭いが、鼻を付く。
地下でのあの腐ったサイボーグたちを思い出させられて、ユキヒロは不快に顔を歪めた。
気付けば、周囲の騒乱は一瞬静まりかえっていた。
その光景のあまりの凄惨さに、だれもが息をのんでいる。
ハイドが雇ったプロの生き残りと格闘していたらしいテツも、銃やら工具やらかまえた格好のままこっちを凝視して固まっていた。
「体を改造したところで、弱点はなくならないんだよ。」
予備のケースから煙草を抜き取り、ユキヒロは余裕あるようすで(というかいつものことなのだが)目を細めた。
一服し、さて、と頭を巡らし周囲を見回そうとした、そのとき。
「ユッキ後ろっ!!」
テツの鋭い声と同時、ちょうど振り向こうとした先に、手の平が。
眼前すれすれに迫ったそれを神業的な反射神経で避け、一瞬ユキヒロはバランスを失う。
次は右足だった。中段膝蹴りが脇腹にきまる寸前に、ユキヒロの腕がガードをとる。なんとか弾くが、体勢があきらかに不利だった。
すぐに追撃がくる。近距離から放たれた先ほどと同じ手の平の一打を、しかしユキヒロは強引に腕を回して関節技をかけにかかった。
かまえが不充分だったために力をかけきれず、相手は肘を逆関節にキめられて小さく唸り声をあげたが、左手が腰のホルダーに伸びるのがはっきりとわかった。
固めていた相手の腕を解放し、ユキヒロもすぐさま懐のベレッタをつかむ。
ガチャッ!・・・、
っと、お互い銃を向け合った形で時が止まった。
ようやく腕1本分の距離をおいて対峙した相手を油断なく見据えながら、ユキヒロはやれやれといった風に肩を竦めてみせた。
そうして銃をユキヒロの脳天に向けながらベレッタをちょうど心臓あたりに突きつけられた相手は、いつも通りニヤとした笑みを刻むのだった。
「奇跡的な反射神経やなぁ、完全に不意打ちとれたと思ってんけど。」
「まさか拳法つかえるとは思わなかったよ。さっきの八極拳かなんか?でもなんか似合うよね、ハイドくんに。」
長い黒髪をぱっぱと払って、対峙するハイドは「見様見真似やけど」、と返す。
「まぁ、銃だけでなんとかなる世の中でもないしな。これでも俺、今までユッキーなみにいろんな修羅場経験してきたし。小手先だけの技術も必要かなーと思って。」
「殊勝な心がけだねぇ、いいなぁ俺も教えてもらおっかな。」
「や、やめとき。ユッキーにそれ以上強くなってもらったら困るし。」
「拳法を操るサイボーグってかっこよくない?で、どうする?」
唐突に世間話を打ち切って、ユキヒロはハイドの心臓に向けたベレッタの銃口を少し持ち上げてみせた。
この状況で不利なのはあきらかにハイドだ。
がしかし、それでもいつもの小悪魔的な笑みを浮かべたまま、ハイドは内緒話するように片手を添えて、こっそりと告げた。
「ナイショやで、俺の体ん中な、爆弾埋め込んであんねん。」
「・・・・・・・」
思わず耳を寄せていたユキヒロは無言のまま1度ハイドに向き直って、探るような視線で凝視する。
ハイドはいつもの笑みを浮かべたままだ。
「本気なの?」
「だてに情報屋やってへんで、俺も。」
心臓に突き付けたベレッタ。
「爆弾」があるとすれば、たぶんここに。
ハイドは何かに殉じて死ぬような男ではない。
爆弾を抱えているということは、つまりそれほど危険な、爆弾よりもっと危険なモノを、その身に抱えてる、ということだ。
「情報屋は、『死の商人』って呼ばれてる。近所の犬の生い立ちから、それこ国家レベルの諜報まで扱うんや。機密情報が漏洩するのを防ぐ、その保証として、俺らはつねに自分の命を自分で操れなあかん。」
ふ、と一呼吸おいて、ハイドは目を眇める。
お互い突き付けた銃は、揺るぎ無いまま。
「俺はこの仕事に命賭けてる。やから客からそれ相応の金をもらうし、その分の見返りは必ず果たす。」
ユキヒロはじっと息を潜めハイドの目を見つめていた。
向かい合うハイドは、少し口元に微笑を見せ、
「な、ほんまはユッキ、賞金懸けられたことなんかどーでもいいんやろ?暴れられる口実ができれば。俺もいっしょ、楽しければそれでいい。」
「・・・・・・・・・・・・」
ユキヒロの頭蓋に向けられていた銃が、ゆっくり下ろされる。
同時に、ユキヒロもハイドの心臓に押し当てていたベレッタの銃口をだらりと引き下ろした。
銃をホルダーにしまい、バッバと2度ほど適当な手振りでジャケットをはたくと、少し神妙な面持ちになって、互いに邪魔な銃がなくなった分の距離を一歩詰めた。
そしてさきほどと同じように、ナイショ話をするように手を添えひそひそ声で。
「これはひとつ聞き流してほしいねんけど、ナカジマにユッキーのこと教えたんも、賞金かけるように仕向けたんもケンちゃんやねん。」
誰を信じるかは、ユッキーの自由やけど。
気付けばいつも通りの小悪魔な笑みを浮かべてるハイドと顔を合わせ、ユキヒロは何か言おうとするように口を開きかけ。
パンッ!
軽薄な発砲音に、ユキヒロとハイドは同時に振り向いた。
「そこまでだ。2人とも、動くな。」
向けた視線の先には、拳銃とショットガンをかまえた初老の男。
「・・・・・・・ユッキーあいつヤッてへんかったんや。」
「やーあの数だったしねぇ、かかってくるヤツ誰彼かまわず蹴り飛ばしてたから。」
あちこちに死体と薬莢が散乱する中に仁王立ちするナカジマを眺め、それでも2人は相変わらずのーんびりマイペースである。
「そこのオレンジ頭も、変な動きしたらバラバラに撃ち砕いてやるぞ。」
「・・・ちっ、バレてたか。」
ナカジマが険しい目付きでショットガンの銃口を向けた先には、床に伏せって死体に隠れるようにしていたテツが起き上がろうとしていた。
服のあちこちが血やら油で汚れている。
「死んだフリして奇襲かけたろ思とったのに。」
「そこでなんで俺を見る。」
テツは明かにハイドの方にジト目で視線を送ってきた。非常に分かりやすいヤツである。
ショットガンをかまえ、立ち並ぶユキヒロとハイドとテツを見回すナカジマの双眸は、静かに怒りに満ちているようだった。
初対面のときの柔和な表情は、もはやどこにもない。
本気で怒らしてしまったようだ。
「よくもここまで引っ掻き回してくれたな、お前達。許さない。覚悟しろ、地獄の苦しみを味わわせてやる。」
「あらーどうやら本気で怒らしてもたみたいやでーどうするーユッキー」
「自分がここまで状況ややこしくしてんからな、責任とってよハイド。」
「ていうか先に俺の生活引っ掻き回したのはアンタの方なんだけど。なんか理不尽じゃない?それって。」
それぞれに言いたいことだけ言い放つ。
三人三様、思い思いの立ち姿で。
血生臭い、硝煙の臭い、そしてこの緊張感のなさ。
そう、俺の日常は、やっぱこうでなくっちゃね。
ユキヒロはどこか晴れ晴れしい笑顔でナカジマを見やった。
「・・・若造めが、馬鹿にしおってぇぇっ!!!」
腕を戦慄かせ、吠えたナカジマがガチャリとショットガンを撃つ体勢に入り、それとほぼ同時に、対峙する3人もそれぞれの武器を抜く。
刹那の、張り詰めた殺気。冷気。
触れれば、切れてしまいそうなほどの、鋭利な空気。
しかしそれさえも2秒とたたないうちにもろくも崩れ去った。
「はーいはいはいはい、ちょーっと皆さん、こっちに注目ぅ〜〜〜〜」
あまりに間の抜けた声だった。少し高めの、ヘリウムボイス。
思わず、呆気にとられた表情で、その場にいる全員が開け放たれたビルの入り口を凝視する。
突然乱入してきた声の主は、集中するその視線もまったく気にすることなく、割れたガラスやら死体やら飛び越えて中に侵入してきた。
「うっわぁ、またえっらいハデに壊しまくったなぁ、三人ともー」
「ケンちゃんっ!?」
「ちゃうで、こん中の5割は相殺で4割はユッキーやで。」
驚声をあげるテツの横で、ハイドは言い訳しながらぶんぶん頭をふる。
ケンはひょいひょいと軽い足取りで、対峙する3人と1人の間に立った。
ナカジマのかまえたショットガンを、まったく気にする素振りもなく。
「誰だ、おまえは。」
突然現れて自分達の合間に割って入ってきた男に、ナカジマは怒りと驚きの混ざった目を向けている。
ユキヒロはいつのまにやら銜えた煙草から紫煙を漂わせながら、2人の様子を眺め、
あ、そーか。この人ケンちゃんは見てないんだったっけ。
なんせ昼頃ケンがここに侵入してきたときは、ナカジマは壊れたサイボーグたちに下敷きにされて気を失っていたのだ。
「まぁ誰ってほどでもないねんけどぉー」
ナカジマの方に体を向け、ケンは煙草の煙をすぱーっと吐き出した。
「アンタがだした、ユッキーの懸賞金は撤廃されたよ。」
その言葉に、場の空気が凍りつく。
ナカジマは唇をぶるぶる震わせて、
「なんだと?!なぜだ!」
「賞金懸対象物不適当。知らんかった?チンミンホー博士の複合有機体研究が正式に学会で認められて、複合有機体サイボーグは文化遺産指定になってん。」
ナカジマの顔は真っ青に青褪めて、ショットガンを持つ腕も小刻みに震えていた。
向かい合うケンは、酷薄そうに目を細めそのナカジマの様子を眺めている。
「ちょちょちょー待ってよ、そんなんいつ決まったん?文化遺産なんて初めて聞いたで。」
さすがに焦ったように会話に割り込んでくるハイド。
その横でユキヒロも、まったく思わず指に挟んだ煙草をぽとり落としてしまっていた。
煙草を銜えたままのんびり振り返ると、ケンはニヤと笑って、
「さっき。」
「さっきかい!」
テツがビシリとツッこんだ。
「やから、もうユッキーバラバラにしてマーケットで売り飛ばしたらそっこータイホされんで、ハイド。」
「マージでー俺の計画台無しやーん。」
「なんだ、じゃあ俺もう合法的には無価値ってことじゃん。」
「ユッキーなんでそんな残念そうなの・・・」
相変わらずな4人であった。
ごほんととつ咳き払いして、もう一度その場を取り仕切るように、ケンはナカジマの方に向き直した。
「えーそんなわけで。国の重要文化財に損傷をくわえたっちゅうことで、アンタを連行するから。」
「ええ!?」
言いながらケンが胸ポケットから取り出したものを見て、テツと、ハイドと、ユキヒロは思わず声を上げた。
ナカジマに向かって真っ直ぐ突きつけられたそれには、「大日本帝国連邦捜査局」という金文字が薄汚れた鈍い光を放っていた。
「ケンちゃんが・・・連邦捜査官んん!?」
「うっそぉーーー信じられへん・・・」
「こんなことって現実にありえるんだねー」
愕然と目を見開いているテツとハイドの横で、どこか感心した風に呟くユキヒロであった。
絶対権限をもつ捜査官手帳を突きつけられたナカジマは、俯いて表情は伺えない。
しかしその手はしっかりサイボーグさえ撃ち抜くショットガンを握っていて。
手帳をしまってケンはナカジマの方に歩を進める。
距離が詰まり、すでに腕を伸ばせばお互い届くほどに達した時。
ガチャリ
「・・・・・・・・」
ユキヒロが、ケンの背後からナカジマに向けてベレッタをかまえる。
しかしそれより一瞬速く、ナカジマの持つショットガンがケンの腹に触れていた。
「殺してやる。おまえだけでも。」
銃口を押し当てられ、しかしケンはその口に冷笑を浮かべて。
「殺すのは俺だけでいいん?ずいぶん目標が狭まったね。」
蒼い煙草の煙を、わざとらしく吐き出す。
「でも、アンタは俺さえも殺せへんで。」
ジャリ・・・
不穏な足音に振り向くと、いつのまにか破壊し尽くされたビルの玄関は、完全武装した男たちにやたら物々しい雰囲気で占領されていた。
防弾ヘルメットにチョッキ、防毒ガスマスク、その鍛え上げられた腕に一様に抱かれてるのは、赤外線のパワーガン。
「げ。」
「・・・特高や。」
もともと裏稼業的なハイドとテツは、イヤそうに顔を顰め一歩退いた。
唇を血が滲むほどに噛み締め、ナカジマは血走った目で眼前のケンを睨んで。
しかしケンはすでに笑みを消し、無表情にただ煙草をくゆらしていて。
ガクリ、と、ナカジマは膝を折った。極度の緊張で、肉体的にも精神的にも極限に達していた。
ナカジマは、完敗したのだった。
「・・・・・・私はただ、究極の生命体を作り出したかっただけなのに・・・」
しわがれた声が虚しく響く。
玄関に居並ぶ異様な黒いひとだかりが背負う夕日が美しかった。
ユキヒロはそのゆるゆると突き刺すような赤い光を、眩しそうに目を細めて見つめていた。
「で結局、なんでケンちゃんはナカジマをけしかけたりしたんよ。ユッキーに賞金かけたり。」
死体もほとんど撤収され、今はただ閑散とした破壊跡だけが残るナカジマ商会ビルのロビーで、ソファに腰かけたハイドが納得いかないといった表情で聞いた。
半分傾いた受付テーブルにもたれ、ユキヒロと並んで煙草をふかしつつケンは、いつものようにぴらぴらと適当に手を振って、
「あーバイトしててんよ、バイト。ちょっとまとまった金が欲しかったから、サクラに紹介してもらって、連邦捜査局の臨時工作員ーみたいなかんじで。」
「バイト?!じゃあほんまは捜査官とちゃうん!?ちゅうかさっきの手帳は?」
「サクラの。」
「うっわぁサイアクやなぁ自分ー」
ケンちゃんこそ偽証罪で逮捕やん!とテツは大声で笑った。
「でもなんでまたこんなややこしいことしたわけ?」
カウンターの端でトントン、と灰を落としながら、ユキヒロも隣りのケンを見やる。
「んーと、なんかどうしても、ナカジマが密輸入してマーケットに違法危険物を流してるってことはわかっててんけど決定的証拠をつかみそこねてたらしくて、連邦局は。しかも局のおえらいさんとの癒着疑惑もあって、局内でもいろいろあったみたいで。」
ケンの言葉に、ハイドがははーんと唸った。
「やからわざわざ部外者のケンちゃん雇って、ナカジマを一掃してしまおうと。」
「そー。なんでもええからなんかの容疑かけて連行してこいって言われて、したらどえらいバイト料払ってやるからって。で、ユッキーをエサにつかってみましたー」
「みましたー、じゃなくて。」
えへへへと笑うケンに、もはやユキヒロも笑い返すしかない。
「でも、ま、いいやん。文化遺産指定になったから、これからはそうそう厄介ごとは降ってこーへんで。」
「どうだろね。」
ケンちゃんとテツくんとハイドくんが周りにいる限りは、厄介ごとは絶えないと思うけどね。
ユキヒロは煙草を口元にやりながら、小さく笑みを刻んだ。
夕闇が迫る外界から、紫に近い赤色がビルの中に差し込んできている。
もうすぐに夜がくる。そして朝だ。いつものように、街は暮れ、沈み、眠る間もなくまた起き上がる。
さぁーて、と一声かけて立ち上がると、ユキヒロは腕と背筋を思いきり伸ばして出口に向け歩き出した。
「一仕事終わったし、一局打ちに行くかなー。ケンちゃんも行く?」
「行く行く。」
「あー俺も俺も。ついてくー。」
「えっ、みんな行くなら俺も行く!」
「自分ら麻雀知らんやん。」
「そんなんやってるうちに覚えるって。テッちゃんは先帰っときーお子様が行くとこちゃうからな。」
「あっ、なにハイド俺をのけ者にしようとしてるんよ!ずるいでー俺も行くからなー!」
「はいはい。」
「ついてくんのは別にいいけど、手加減しないよ?」
「うわ、ユッキー容赦なしや。」
「鬼や。」
「鬼やな。」
鬼で結構。
腰のホルダーにベレッタの重みを感じながら、ユキヒロは笑った。
もうすぐ夜が来る。そして朝だ。
いつもの、俺の日常が帰ってくる。
サイボーグユキヒロの「穏やかな」日常。
ハチャメチャでおよそ平穏とは呼べない破壊的なものだったが、
ユキヒロにとってはそれはひどく心地良い夢のようなものであった。