一見なんの変哲もないビルだった。
ビルといえるほどの高さも覇気も魅力もない。
ただ人間が使用しているという点だけでのみ、取り壊しを免れているような、つまりはそんな建物で。
その色褪せたの3回建ての建物を前に、ユキヒロはひとつ小さく嘆息して、背後に一度振り向いた。
ユキヒロが通ってきた道すがら、まるでヘンゼルとグレーテルが目印に落としていったパンくずのように、ボトボトと何人もの男たちがぶっ倒れていた。
そいつらの手には一様に、あの悪人ヅラが描かれた賞金手配書。
ユキヒロは怒りというより呆れてさらに悲しくもなっていた。
次々と間断なくチンピラが襲ってくることより、このチンピラどもがあの絵を見て正確にユキヒロだとわかるあたりが無性に腹立つのだ。
そんなわけでユキヒロが眼前に立つビルの正面ドアを無駄に力をいれて蹴破ったのも、まぁ仕方ないことであったのだった。
ガシャアァンッ!!!
ブーッ、ブーッ、ブーッ…
ドアのガラス(ちなみに自動ドアだった)が四方八方に飛び散り、防犯ブザーがけたたましく鳴り響く中で、受け付け嬢が呆然と入り口に立つユキヒロを凝視している。
しかしユキヒロは、飛散したガラスも煩過ぎるブザーにも受け付け嬢の射すような視線もおかまいなしに、無遠慮に侵入してロビーの受け付けもすんなりと通り過ぎて行って。
そしてはたと、立ち竦む受け付け嬢の目の前で動きを止めた。
女は愕然として、突然ガラスを蹴散らして侵入してきたユキヒロから目が離せなくて、そのうえ恐怖で両足はガクガクと震えていた。
受け付けカウンターで唐突に足を止めたユキヒロは、「んーと。」としばし考えこみ。
くるっと顔だけ女の方に向け、気の抜けた口調で。
「ねぇ、ここって、ナカジマ商会のビルだよね?」
確認してから入ってこいよ・・・
と思わずツッこまずにはいられない受け付け嬢なのであった。
「ようこそ、海外果物専門店ナカジマ商会へ。」
そしてその声は破壊されたロビーに思いがけず明瞭に響いた。
ゆったりとした動きで、ユキヒロは声のした方、視線前方のロビーの奥へと目をやる。
そこにはさっきまで誰もいなかったはずだが、それはそうとしてそこには1人の痩身の男とあからさまにボディガードのような体躯の男が突っ立っていた。
痩身の男はヨレヨレのスーツを着込んでいたが、それにしても体全体がひょろひょろで、その腕はかたわらのボディガードが構えているショットガンより細かった。
「歓迎いたしますよ、ユキヒロさん。まさかわざわざご自分から出向いてくださるとは。いやーご足労かけまして。申し訳ないですねぇ。」
「や、別にそんなに遠くなかったしね。」
痩せた男は50代半ばの禿げた頭を何度もペコペコと下げてくるので、返すユキヒロもどこか中小企業の接待を受ける大企業社員のような気分だった。
しかしあくまでユキヒロもマイペースを崩さずに。
「アンタがナカジマさんでしょ?」
場の雰囲気も会話の順序もユキヒロには関係ないようだった。
このビルの社長であるその男は、ふっと視線をユキヒロに戻し、しかも顔には薄笑いを貼りつけていた。
まったくイヤなタイプの笑い方だ。直感的にユキヒロはそう思った。
「ユキヒロさん。」
「はい?」
微笑みを浮かべるそのナカジマという男と相対して、ユキヒロもひどく醒めた目で視線を返す。
「私はあなたとどうしてもお会いしたかった。」
「俺はアンタになんか用はないんだけど。」
「あなたにどうしてもお見せしたいものがあるんです。付いて来て下さい。」
丁寧さと引き換えに、有無を言わせぬ口調だった。
しかしそれに簡単に応じるユキヒロでもなく。
「用事なら、手っ取り早くここで済ませてくれる?」
抜き放ったベレッタを、真正面のナカジマの脳天へと向けた。
しかしナカジマは少し肩を竦めて見せただけで、その代わりに傍らに立っていたボディガード風の男が、手に持つショットガンをユキヒロに向けてかまえる。
ナカジマは真っ直ぐ、ユキヒロのベレッタの銃口を見つめ、
「やめておいたほうがいいですよ。このショットガンはただの銃じゃない、対サイボーグ用なんです。うちが極秘に開発したね。」
「・・・なんでアンタが対サイボーグ用の武器なんてもってんの。」
「その理由は私に付いて来たらわかりますよ、ユキヒロさん。」
短気な方ですねぇ、と笑ってナカジマはきびすを返してロビー奥のエレベーターへと向かった。
ナカジマの言葉に疑念をもって食ってかかっていったユキヒロだったが、ボディガートの男にそのショットガンを突き付けられては仕方がなく、かまえていたベレッタをすんなりと男に渡した。
見たことがあったわけではないが、噂には聞いていたのだ。
サイボーグの研究をしている日本人がいることは。
ボディガードの男に連れられ、エレベーターで地下へと下って、通されたのはエレベートーホールと直結した真っ暗な一室だった。
暗闇の中に見えるのはぼんやりと非常灯の緑の光だけで、それが部屋の中に幾筋もの影を落としている。
先頭を歩いていたナカジマが部屋の外側の壁に設置してあるレバーを引き、途端、部屋の中に煌々とした白熱灯が灯った。
一瞬にして照らし出されたそこには。
何十体という数の、サイボーグの「死体」が、無造作に所狭しと突っ立っていたのだった。
しかしよくよく見れば立っているのではなく、スタンドに支えられてただ並べられているだけで。
乱暴に垂れ下がった頭と手足。
強引に繋げられた配線コードと。
奥の方はすでに皮膚の腐食が始まっているのか、部屋の隅には大きな空気清浄機がとりつけられていたが、悪臭は入り口にまで漂ってきていた。
瞼の閉じかかった双眸に光も意思もなく。
まさにサイボーグの「墓場」と呼べるその異様な光景に、ユキヒロはしばし言葉を失っていた。
「サイバーオーガニゼイションというものは、あなたが思っている以上に繊細なものなのですよ、ユキヒロさん。」
ナカジマはゆっくりと歩を進め、部屋の中の無数の「死体」を眺めた。
「生の脳を使い、神経も組織もすべて機械化し、しかも自律的に機能させなければならない。複合有機体は言わば、人間が作り出したテクノロジーの結晶体です。」
ボディガードに銃口で背中を押され、ユキヒロはふらりとした足取りで部屋の中に足を踏み入れた。
気分が悪かった。
全身の皮膚の下を、なにかが這いまわってるような悪寒。
スタンドに並べられたサイボーグたちを背に、ナカジマは振り向いて、ユキヒロににっこり笑いかけた。
「私は長年サイボーグの研究をしてきました。諸外国からさまざまな技術と部品を集め、そして最強の兵器としての複合有機体を産み出そうと、金も時間も捧いできた。」
しわだらけの無骨な手が、ギミックで作り出されたユキヒロの腕を掴む。
ナカジマは、手の甲の冷たい人口皮膚を丹念に撫ぜ、
「あなたの存在を知ったのはつい最近でしたよ、ユキヒロさん。人間を素体として、ギミックによって構成されたサイボーグ。手術を執刀したのが人間の最盛期である27歳であったことを差し引いても、あなたのサイボーグとしての出来は最高だ。」
うっとりと陶酔してギミックの指先をたどり、ナカジマはユキヒロの顔を真っ直ぐ見つめた。
「これはすでに芸術作品ですよ。完璧なバランスで構成された有機体。その完成品であるあなたをサンプルとして解剖し、解析すれば、私の作ったサイボーグたちも、『芸術品』として完成するでしょう。」
ナカジマはユキヒロを見つめながらも両目は濁って泳いでいた。
目を開けたまま、夢を見てるかのように。
しかしユキヒロはナカジマに視線さえやらずに、指先を握る手を強引に振り払って。
「ナンセンスだね。」
言い切って、そして無表情のまま、ナカジマの後ろに並ぶ機械に蝕まれた無数の死体へと視線を投げかけた。
「この人たちみんな、元は人間でしょ?ここの社員とか、通行人とか?」
「ははは、たいした者たちではありませんよ、みな籍も名字も持たぬ者ばかりです。」
ナカジマは背後に振り向きもせず、なおもユキヒロのギミックに触ろうとふらふら手を伸ばしてくる。
しかしその手が届くより早く、ユキヒロが腕組みをして続ける。
「莫大な時間と金をつぎこんで、できたのがこの死体の山と機械の残骸だけ?」
ピクッ、と、ナカジマが動きを止めた。
濁った目で、顔を見上げる。
ユキヒロの双眸はまったく醒めていた。
その冷たいガラス玉が映すのは、あわれなサイボーグの失敗作たちで。
「この腐った死体がなによりもアンタの才能の限界を体現してるのに、アンタはまだ1人で芸術だのなんだのゆってる。滑稽だね。」
ユキヒロの刺すような言葉に、ナカジマは無表情な目でただ黙ってユキヒロを見上げていた。
「アンタには才能がないんだよ。アンタが俺の体を使ってこのサイボーグたちを完成させたところで、それはオリジナルじゃない、ただの模倣品だ。それが『芸術』って?」
ユキヒロは初めてナカジマに視線をやった。
その口元にははっきりと、嘲笑が刻まれていて。
ナカジマの目はやはり無表情のままだった。
ただ見上げてくる苛烈な視線だけが物を言っていた。
ユキヒロは小さく嘆息して。
「バカバカしいよ、ほんと。」
一瞬だった。
身体を反転させ、銃口を突き付けるボディガードの懐に入る。
男の顔が驚愕に歪む。
しかし男がショットガンのトリガーを引くよりも、ユキヒロの手が銃身を鷲掴む方が速く。
強引な力を込め、掴んだショットガンを引くと男はバランスを崩して。
メリィッ
不快な金属音、ユキヒロが至近距離から放った膝蹴りは、頑強なショットガンの銃口を90度折り曲げてしまっていた。
ただ愕然とする男の堅い腹筋に、破壊されたショットガンを叩きつける。
男の体は吹っ飛んで、吐血しそのまま昏倒した。
完全に意識を失って倒れている男のジャケットをさぐり、ユキヒロは慣れたその重みを再び手にのせた。
愛用のベレッタ。武器。それ以上でも以下でもない。
グリップを握り締め振り向きざま銃口をナカジマに真っ直ぐ向けると、ナカジマはしわだらけの手で月並みの拍手をしていて。
その顔には、さっきまでの営業マン的な柔和な笑みが戻っていた。
「すばらしい、さすがです。鉄を折り曲げるパワーといい並みの人間を凌駕する速さといい、申し分ない。」
「俺はアンタみたいな人、だいっきらいだよ。」
ベレットの銃口より、ナカジマに向けられるユキヒロの目は冷たく鋭かった。
ナカジマはやや目を伏せ、少しまた口元を緩め。
その不思議な空気に、訝しんでユキヒロは眉を顰めたが。
ガチャ・・・
金属の擦れ合う音で、ユキヒロははっとして周囲に目をやった。
しかし、気づくのはすでに一足遅かった。
「あなたの言う通り、この出来そこないたちはすでに『人間』としては死んでるんですがね・・・」
ナカジマは、自分のすぐ真隣りに進み出てきた、腐った肉をまとうサイボーグの肩にポンと手を置いた。
それだけでそのサイボーグの腕の肉はずりっと滑り落ちてしまったが。
その手がかまえるハンドガンは、揺るぎ無くユキヒロに向けられていて。
「『機械』の部分はまだ、生きてるんですよ。」
ナカジマの背後で沈黙していたサイボーグたちが、いつのまにかユキヒロをぐるりと囲んでいた。
数十体というサイボーグ、そのすべてがかまえるハンドガンの何十もの銃口が、真っ直ぐユキヒロに向かって突き付けられていて。
どろり濁ったまなこが思い思いの方向を見やり、放つ悪臭はいっそうひどいもので。
サイボーグたちに守られる格好で立つナカジマは、相変わらず営業スマイルを浮かべていた。
ユキヒロは、ただじっと黙ってナカジマを睨みつける。
ベレッタの照準を、真っ直ぐに合わせたまま。
ざっと目算しただけで、20体近くに囲まれてる。
部屋の奥にはまだ10体は残っているだろう。そのすべてが可動だとすれば。
ユキヒロは心臓の律動を感じていた。
すでにその器官はもってない。ないのだが、確実な脈打ちを感じた気がした。
周囲はひどく静かだ。取り囲むサイボーグたちもナカジマも無言で。
絶体、絶命。
さあ、どうしよう?
機械コードと腐食した肉を撒き散らしているサイボーグたちを慎重に見回して、ユキヒロはじっと息を詰めた。
そして沈黙は破られた。
ブーッ、ブーッ、ブーッ!
「!なんだ!?」
突如警報機のブザーが無遠慮に鳴り響き、ナカジマが驚嘆の声を上げたのとほぼ同時、天井からは、火災時用の防火シャワーの水が部屋いっぱいに降り注いだのだった。