地下室の部屋を出てすぐのエレベーターホールに立っても、やはりまだ火災報知機が鳴りっぱなしでその上天井から降り注ぐシャワーも勢いそのままであった。
一応シャワーを避けてはいるものの、飛沫するしぶきをあちこちに浴びて、ユキヒロはジャケットをバタバタと適当にはたいておいた。
「あっ、ユッキーいた!」
聞き覚えのある特徴的な声に、視線をやると、右手奥に続く薄暗い廊下から走り寄ってくる人影。
「ユッキー生きてるー?分解されてへんー?」
「相変わらずナイスタイミングだね、ケンちゃん。」
心配の色をどこにも感じさせない口調のその人物に、ユキヒロもやや笑い返して応えた。
ケンはユキヒロのすぐ傍まで来ると、一息ついて、
「あんね、あの後またサクラから電話あって、わかってん。ナカジマって昔からずっとサイボーグの研究してきた人やねんて!」
「教えてくれてありがたいんだけどね。」
ちょっと遅いよ、とユキヒロもいつもの調子で付け加えておいた。
「これ、ケンちゃんなの?」
ユキヒロは、相変わらず天井からのやまないシャワーと鳴り響く警報ブザーを見上げて呟く。
よく見たらケンの服もあちこち濡れてしまっている。
「うんーとりあえずトイレの窓から侵入してんけど、そん中で一服してたらぁ、火災報知機が作動しちゃってぇ、急いで逃げてきてんよ。ユッキーは?なにしてたん?」
「まぁ、いろいろとね。」
言って、ユキヒロは背後のさっき出てきたばかりの部屋に肩越しに目をやった。
林立していたあのサイボーグの失敗作たちは、天井からの激しいシャワーを受けグチャグチャに潰れ、そのほとんどは床に倒れ伏していて。
もはや動かない。
水でサイボーグの電気に感電したナカジマは、失神して、肉塊と機械コードの下敷きになってしまっている。
あれほど鼻腔に鋭く刺さった悪臭も、今は水に流され消えて。
なんかわかんないけど丸くおさまったみたいだね。
完全にその強運っぷりだけで窮地を脱してしかしユキヒロはたいした感慨もなく、そのまま視線をまたケンの方へと戻した。
「とりあえず、さっさとここから出た方がよさそうだよ。」
「そぉーね。外でテツが待ってるから、―――」
言いかけてふと、ケンはエレベーターホールへと目をやった。
ユキヒロも、その視線を追う。
丁度エレベーターが階上からこの地下へと下ってきていた。
上部パネルの<B1>と書かれたランプが点灯し、チーン、という月並みな音付きで、エレベーターのドアが開く。
はたして両開きのドアの向こうにユキヒロとケンが見たものは、会社員らしい背広を着て、一様に銃をかまえた社員たちだった。
うわ。
と、ケンが呟いたかどうかは定かではない。
2人がその物騒な格好の社員たちと思いきり目が合った次の瞬間には、エレベーターから無数に突き出した無数の銃が容赦なく火を噴きはじめていた。
ドドドドドドドッ!!!
バンバンバンバンッ!!!
爆音が鳴り響き、あたりは一転して弾丸と硝煙に包まれた。
しかし銃弾が撃ち込まれた先にはすでに侵入者2人の姿はなく。
社員たちが怒号を上げながらあたりを見回し、一瞬やんだ連射の隙間に。
ブシュウゥゥゥッ!!
唐突にして広がった硝煙とは別種の煙が、再び視界を真っ白く染め上げてしまった。
「くそっ!?なんだコレは・・・ゲホッゲホッ!」
先頭をきった社員の1人が、ハンドガンをかまえながら、その舞いあがる白い粉末をなんとか払おうと腕を振り回していると。
ガシッ!、と、煙の向こうから伸びてきた手にその腕を掴まれ。
なんの反応も返せれないうちに、腕を逆手にキめられて彼は激痛に悲鳴を上げた。
「いぃいたたたたたっ!!」
思いっきりキめられた関節技の痛さに、思わず握っていた銃を落としてしまい、しかも「しまった!」と叫ぶ前にそのハンドガンは煙の向こうの何者かによって拾われてしまっていた。
次の瞬間、ハンドガンの銃口から連続して飛び出してきた銃弾の衝撃波で、あたりの白煙はあまりにあっさりと消し飛んで。
その消えた煙の向こうからハンドガンをぶっ放してきた人物の影さえとらえずに、彼は腹から血と臓物を吹き出してその場に昏倒し、絶命した。
死んだ男の後頭部を黙って見下ろし、ユキヒロは、その社員であった男から奪い取ったハンドガンで、のんきに舞い散る白煙を払う。
空気上を浮遊するその白い粉末がやや消えかけてきた視界の向こうで、ケンがカラになった消火器で近くにいた男の頭を殴っているのが見えた。
消火器の粉ってクリーニングで落ちるのかな。
悠長にそんなことを考えながら、ユキヒロは眼前に現れた社員の1人の脳天にハンドガンの連射を食らわせた。
その一連の騒動が始まるより少し前。
ビルに横付けされた真っ赤なフェラーリの中で、ハンドルに両腕をのせ、眼前を睨むテツは複雑な面持ちだった。
フロントガラスの小さな汚れを、じっと見つめて。
ケンがビルの中に侵入してから数分。
まだ、大きな騒ぎはない。
なにか落ち着かなくて、テツはちらっとダッシュボードの上を見やった。
太陽の白い陽に灼かれたそこには、ケンが置き忘れていったマルボロがぽつりと。
その赤いパッケージに手を伸ばしてテツは、慣れない手つきで一本抜き取って銜える。
カーライターで火をつけても、ほとんど吸い込まずに、ただ煙が昇るのを眺めていた。
ピロリロリロリン〜♪
場違いな電子音が、車内にやたらポップに響く。
助手席で、鳴りながらしかもヴーッヴーッと鈍い音を発して震動してるそれをしばし見つめ、テツは留守電に切り替わるすれすれでようやく拾い上げて耳に押し当てた。
『テッちゃん、首尾はどう?』
携帯電話越しのハイドの声は、こんなときでもいつも通りのんびりしたものだった。
テツもつとめて、いつもの調子で返す。
「今ユッキーがナカジマの本拠地に乗り込んでいったとこ。」
『やっぱ思った通りの行動にでたなー。アイツらのユッキーの身辺情報まわさんで正解やったわ。』
ハイドは納得したようにうんうん頷きながら言った。
次々賞金を狙ってユキヒロに襲いかかって来るチンピラどもに、ハイドは一切ユキヒロの情報をまわしていなかった。
教えていたら、頭の悪いチンピラならもっと大勢である程度作戦をたててかかってきただろうし、頭のいいチンピラならユキヒロに手さえださなかっただろう。
アイツらは勝手に手配書を見てかかってきただけ。ユキヒロにはブンブン飛びまわるハエを鬱陶しく払いのける程度で済む連中だ。
だがハイドはちがう。ハイドは情報をもっている。ツテもあったし、各方面にコネもある。
『こっちも準備しよるで、とりあえずその道のプロ5人ばかし用意したけど。』
ハイドがプロというからには本当にプロなのだろう。
それは重々承知だったがそれでも、テツは小さく嘆息して。
「甘い。ユッキー捕獲しよ思たら10人はいる。」
『うそ、5人とも精鋭やで?あっち社会ではかんなり有名の。』
「せめてあと3人はほしいわ。」
テツのそういった戦力を見極める能力が確実であることもまた、ハイドはわかっていた。
テツはやり場のない、吸いかけのタバコを指でくるくる回して、ハイドの返事を待った。
ちらっと視線を車の窓の向こうに向ける。
ナカジマ商会のビルはまだ静まりかえっている。しかし大騒ぎが起こるまでものの数分とかからないだろう。なんせ中にはユキヒロとしかもケンまでいるのだ。
『う〜〜〜わかった、集めてみる。で、ケンちゃんは?』
電話越しにハイドの声を聞きながら、テツは、ほとんど減ってない煙草を灰皿で押し潰した。
「あー・・・まだゆってへんねん。」
『マジで?ケンちゃんは仲間にいれとってよ、ユッキー捕まえるには軍師が必要や。大将はジブンやで、テッちゃん。』
「うん、わかってる。」
賞金は山分けやから。しっかり働いてよー
あっさりと言い放ってハイドからの電話もまたあっさりと切れた。
携帯電話を助手席に放って、テツは思いきり運転席のシートにもたれこんで。
見上げるパワーウインドウから、今はまだ静かなビルの様子が見える。
ユキヒロはたぶん無事だ。ケンと一緒になんなく脱出してくるだろう。脱出してきてもらわないと困る。ユキヒロにかけられた莫大な賞金がパーだ。
サクラから、ナカジマはユキヒロのギミックを使ってサイボーグを大量生産する気だという電話をうけ、ケンは真っ先に飛び出して行った。
ケンの頭の中でどんな計算がなされたのかは知らないが、ケンもまたユキヒロの「サイボーグ」である体を狙っていたうちの1人だ。
それが関係あるかどうかはわからないが、テツはなかば確信していた。
ケンは今回のハイドの作戦にはのってこないだろう。たぶん。
ナカジマ商会のビルから、けたたましいブザーの音が届いてきた。
どうやら騒ぎが始まったらしい。
テツはふいとビルから視線を外し、しっかりとハンドルを握り直すとギアをファーストにいれた。
エンジンの重低音。
目にも鮮やかなフェラーリは、赤い残像を残してその場から走り去っていった。