「おじゃましまーす。」

「どーぞっ」

 ブリキ材でできたドアを開け中に踏み込むと、相変わらず殺風景な車内がユキヒロを迎えいれた。

 向かって運転席側に置いてある冷蔵庫でケンがなにやらごそごそしている間に、ユキヒロはいつも通り最後尾に据えられたソファに腰を下ろす。
 コーラとマルボロと灰皿をソファ目の前のテーブルに置くケンを視界の端に映しながら、視線を薄汚れたプラスチックの窓の外にやった。

 わりと近接して積んである廃車は真っ黒い腹を見せて空を仰ぎ、その向こうには彩りのない枯草の野原が広がっている。
 元は自動車工場があったらしい。ケンが家代わりにしているこの廃棄されたバスには、その工場からガス管を引っ張ってきてあるとか。
 器用なのが2人もそろうと便利でいいねぇ、とユキヒロは感嘆したものだった。

 荒れ果て放置された車の廃棄場に住み着く第1の理由は、テツのあの真っ赤なフェラーリが隠しやすいかららしい。
 当たり前だあんな目立つもの街中にでも置いてたら、3分で車ごと持って行かれるかビス一本にまで分解されるかどっちかだ。

 ケンの家であるこのバスの車内には、電気も繋いであるし旧型車だから案外壁とかも頑丈だし住んでいてもそれほど不自由はないだろう。
 ただエンジンなどは全部取っ払ってあるので動かないというのは残念だが。

「やっぱまだ帰ってへんなぁ〜」

 窓の外すぐ斜め向かいに放置されたトラクター、テツの家を見やって、ケンは平淡に呟いた。

「携帯も応答ナシやし〜」

 もしかして死んだんかな。
 ケンは冗談だか本気だかわからない笑い方をして、バスに備え付けられたシートに座り込んだ。

 どーぞと差し出されたコーラをどーもと受け取り、ユキヒロはプルトップに爪をかけながら、

「ケンちゃんとテツくんてさ、ずっと一緒にいるの?」

「ううん、こっちに来たのは違うタイミングやったけどー、まぁなんちゅーの、変な縁があるみたいでさ。 昔も今もご近所さん、みたいな。」

 手に馴染んだジッポを弄び、ケンは笑って、

「あのとーり気ぃ回るし手先器用やし、テツは。いい仕事もってきてくれるしね。」

 なんか気のせいかテツくんてケンちゃんに上手に利用されてるよーな。
 ユキヒロはふーんと頷きながら心の中で軽くテツに同情してみた。

 2筋の白煙が細く視界を漂う。
 ケンの家は物があまり置いてなくてどことなく冷たい。こんな部屋にこそ観葉植物が必要なんじゃないか、とユキヒロは常々思った。

 煙がゆるやかに線を引く静かな時間は、しかし乱暴な排気音によって唐突に遮られた。

 ゥオンッ、ブォオオオンッ

「あ、テツ帰ってきたみたい。」

 ケンは座っていたシートに立て膝をついて、プラスチックの窓から外を覗き込んだ。
 その時。

 パンッ

 あまりに軽い音が、空気を貫いた。

「え?」

 ユキヒロがかまえたベレッタはすでにケンが張り付いている窓の外に向けられていた。
 一段と高く積み上げられた廃車の山、小さな黒い銃口が見える。

 ユキヒロは銃をかまえたまま肩越しに背後に目をやった。
 ケンの顔のすぐ真横を走った弾丸は、あまりに正確にテーブルの上の灰皿を真っ二つに割っていて。

 かなりスゴ腕のスナイパーだね、これは…

 知らず、瞼が震えた。

「ケンちゃん、頭下げてて。」

「・・・は〜い。」

 突然自分のすぐ真隣りの窓を貫いた銃弾にしばし固まっていたケンは、おとなしくシートから下りて狭そうに足を縮めた。

 ユキヒロはもう一度、黒い影を作る廃車の高山を見やり、しかし真っ直ぐにかまえたベレッタは微塵も動かさないままに。

 こっから目測…200mぐらい?装弾数6発ぐらいはあるねきっと。
 てゆーか問題は、どっちを狙ったかってことなんだけど。

 この状況下では賞金を懸けられているユキヒロの方が断然狙われやすいだろうが、ユキヒロがここにいることがこんな短時間でわかるはずもない。
 ケンを狙うにしては、1発でしとめなかった理由もない。

 ユキヒロを狙い、なおかつケンの家を襲撃してきた。

 考えられる理由はひとつだった。

「周りは囲んでるでーおとなしくでてきてもらおかー。」

 外から聞こえてきた声は鮮やかなピンク色の髪を思い出させた。

 やっぱり。

 瞠目してユキヒロは、ベレッタをかまえた腕をあっさりと下ろした。








 テツとハイドが同じように横に並んで仁王立ちしてる図は、先にも後にもこれが最後なんじゃないかとユキヒロはぼんやり考えていた。
 なんとなくこの2人はライバル、というか、どこか競い合ってる感があった。
 どっちとも、変に強い。銃の腕がとか格闘技が世界ナンバーワンでとかそういう強さじゃなくて。

 あちこちに積まれた廃車をバックに、小柄だがやたらに目立つ2人を真ん中に据え、見るからに「ワタシ強いんです!」みたいな男が7人かまえて立っている。
 向こうの廃車の山にいるスナイパーを合わせて8人。
 それらが皆、並ぶ者のないほどの猛者たち。

 情報通のハイドのツテ、おそるべし、である。

「ずいぶん金かかってるねぇ。」

「まーな。『仕事は素早く確実に!』が俺のモットーやから。」

 ユキヒロのどこか感心の混ざった言葉に、テツは腕組みをして目を細めた。
 めずらしく真剣な表情。

「ユッキーには悪いけど、捕獲させてもらうわ。」

 別に悪くないよ、とユキヒロは軽く肩をすくめてみせる。
 腰のホルダーの、ベレッタの重み。
 だがこれだけでは今回は逃げ切れないだろう。

 目だけ、斜め後ろに振り向く。
 ケンは相変わらず煙草をくわえてだらーっとした感じで立ちつくしていた。
 まさか丸腰ではないだろうが、ケンの銃の腕は、まぁ控えめにいって、頼れるものではない。

 しかもこの状況でケンが慌てる必要はないのだ。
 敵の狙いは、おそらくユキヒロのみ。
 自分に利害がなくなおかつ自分1人では敵わない状況では傍観を決め込むのが彼の戦法だ。損得勘定が上手すぎる。

 なかなかピンチだね、この状況は。

 ユキヒロはやはりどこかのんびりとした調子で、嘆息をついた。

「でもユッキーがナカジマに捕まってしまわんでよかったわ。あそこで捕獲されてたら、賞金も全部パーやし。」

 無感情に呟くテツの方に再びユキヒロが視線を戻すと、テツの隣りにいたハイドが「あ、」と声を上げた。

「それはアレやで、テッちゃん。ケンちゃんがナカジマ見張っとってくれとったからその心配はなかってんよ。」

「えぇ?!」

 テツは素で驚いたようだった。

 どうやらそれは知らされてなかったみたいだね、テツくん。
 てゆーか俺も驚きなんだけど。

 ユキヒロは今度は上半身ごとケンの方に振り向いた。
 ケンは目を伏せ煙草を挟んだ指を唇に当てていて、表情は見えなかった。

「ちょっとハイド、今回の話はケンちゃんはいってへんって言っとったやん。」

「ま、俺とケンちゃんだけの契約やったから。テッちゃんはきっと今回の話ケンちゃんに言わんやろなー思とったし。」

 お互い様やろ。
 ジロリと睨んでくるテツに、ハイドはなんでもないように薄く笑った。

 やっぱ1枚噛んでたわけだ、ケンちゃん。

 ユキヒロはケンの表情を確かめないまま視線を剥がした。
 意外ではなかった。むしろ納得がいく話だ。
 ユキヒロがナカジマの本拠地に突っ込んで捕まってしまうかもしれない危ない橋を渡るようなことを見逃すハイドではないし、ケンが危険を冒してまで敵地に乗り込んでくるわけもない。

 ハイドはテツを躍らして、ケンはユキヒロを罠へ導いて、テツはケンには黙っていて、そしてケンもテツには話さなかった。つまりそういうことだ。

 ・・・・・・なんだかずいぶん話がややこしくなってきちゃったけどね。

「とにかくそれはおいといてぇ、ここにおる全員がユッキーを捕獲するって目的で一致してるわけやねんから、仲良く協力して山分けしよーや。」

 とりあえず場を取り仕切ろうとしたハイドに、しかし唐突に短銃を握ったテツの腕が振り上げられて。

「誰が協力するなんていった?」

 銃口は、こめかみに向け、ハイドの黒い髪にぴたりと密着していた。

 一瞬にして、荒れ地に緊張が張り詰める。 

 テツは、銃をかまえた腕以上に真っ直ぐな視線をハイドに向けていた。

「・・・・向ける相手まちがえてんで、テッちゃん。」

 動きを止め、ハイドは目だけ隣りのテツの方にやり、表情を消す。

 ハイドを睨むテツの視線は烈火のようだった。対するハイドはまるで凍りつくような冷たい目。

「ゆっとくけど、元から協力する気なんてこれっぽっちもなかった。ユッキーが俺の知り合いやからとかそんなんじゃなくて、人騙して陥れてまで、欲しいと思うものなんかない。」

 きっぱりとそう言い切って、テツはゆっくりと頭を巡らし、周囲の男たちを牽制するように辺りを見回した。

 しかしその視線は、ぴたっと一点で止まった。
 ユキヒロは少し驚愕の混じった表情のテツと目が合った。

 そこでようやく気付く。
 斜め後ろにいたケンが、ユキヒロの後頭部に銃を向けていた。

 テツは無言のままユキヒロの背後のケンを見やる。
 相変わらずだらりとした姿勢のまま、ケンは煙草片手に銃をかまえていた。

「ユッキを捕まえるかどーか俺には関係ないけど、ハイドには死なれたら困る。」

 契約料、まだ半分しか払ってもらってへん。
 呟いたケンが捨て去った煙草は、カーブを描いてユキヒロの足元に落ちた。

「銃を下ろせ、テツ。」

 有無を言わせぬ口調だった。
 これが先ほどまで、にゃはーっと笑っていた男と同一人物かと思うと。
 ユキヒロは背中に、向けられた銃口とは別種の寒気を感じた。

 ハイドのこめかみに銃を当てたまま、テツは微塵も動かなかった。
 ぐっと奥歯を噛み締め、絞り出したような声を上げる。

「ケンちゃんは、ユッキーを撃たへん。」

「どうやろねぇ、さすがにこれだけ至近距離やったら俺でも当たってまうし、どーする、試してみる?」

 嘲笑するかのような声を浴びせられ。
 テツは一段と強く、奥歯を噛んだ。

 ピンッ、と、まるで一本のピアノ線を張ったかのような空気。
 ふたつの銃口はそれぞれ違ったものを捕らえてる。

 ユキヒロの真正面にいるハイドの顔は、やはり無表情のままだった。ただ小さな冷笑が浮かんでる印象がある。
 おそらく背後にいるケンも同じような表情なのだろう。

 ユキヒロは静かに事の成り行きを見守っていた。
 当事者でありながらまるで第三者のような冷静さで。不思議と、頭は冴えた。

 えーと、つまりテツくんがハイドくん裏切ってこっち方についてくれたみたいで、でもケンちゃんは最初っからあっち側?
 あっち側の首謀者はハイドくんで、でもテツくんはケンちゃんに押され気味だし。
 なによりケンちゃんは、俺の頭を撃ち抜くのを惑わないだろうし。
 かといってハイドくんが死んだらケンちゃんは別に俺に用は無いわけで。

 つまりこの状況で俺にできることって、なーんにもないんだよねぇ・・・
 ・・・・・煙草吸いたいんだけどなー。

 そんなことを考えてチラッと視線を周囲に巡らすが、緊張の糸は張り詰め過ぎて触れれば皮膚を破りそうで、とても言いだせる雰囲気ではない。

 とりあえずなるべく自然な所作でユキヒロが胸ポケットの煙草をさぐっていると、ケンと黙って睨み合っていたテツが、突然に鉾先を向けてきた。

「ユッキー、逃げんで!」

「あ、うん。」

 いきなり会話の中に投げ出され、ユキヒロは思わず反射的に頷いてしまった。
 周囲を囲んでいた屈強な男たちが、いっせいにギロッとユキヒロを睨めつける。

 ハイドに銃を突き付けたまま、テツはじりじり後退しはじめた。
 ユキヒロは背後の気配をさぐる。
 まだ、銃口は後頭部に向けられたままだ。

「ケンちゃん、ユッキー撃ったら、ハイドの命はないで。」

 牽制するテツの言葉に、ふっと、ケンの腕の力が抜けたようだった。
 ・・・・カチッ
 ジッポの、音。

 ユキヒロは後ろから漂ってくる紫煙を確認してから、テツの方に目を向けた。
 テツがちらっと視線で合図を送ってくる。

 右斜め前方、廃車の山にやや隠れるようにしておかれた真っ赤なフェラーリ。
 ユキヒロは、全速力でそこまで一気に駆けた。

 バンッバンバンッ!

 とたん銃声が足元を追ってくる。
 なんとかそれを振りきって廃車の陰に隠れ、フェラーリの助手席に滑り込んだ。

 一瞬の間をおいて、テツが運転席に飛び乗ってきて。

 バンッと勢いよくドアを閉めるやいなや、すでにエンジンがかかりはじめていた。

 ブゥオンッ、ブォォオンッ

「行っくでーしっかり捕まっときやユッキー!」

「はーい。」

 返事をしながらユキヒロは素直にダッシュボードと天井の取っ手に捕まった。

 ブォオオオオォオンッ

 478馬力が、うねり声を上げて飛び出した。

 ガンッ、ガンッ

 発進した車の側面やトランクに、何発か銃弾が撃ち込まれる。
 窓から後ろを覗くと、何人かの男たちがショットガンやらなにやらかまえて、追いかけてきていた。

「ええいしゃらくせぇ!」

 テツの握ったハンドルが、思いっきり右に切られ。
 フルスピンをかけた後部タイヤは、砂煙を巻き上げて追ってくる男たちの視界を埋め尽くした。

「はよ車乗れ!追っかけるで!」

 ハイドは自分の車に乗り込んで、前方を走り去っていくフェラーリを睨みつけた。

 かくして、壮絶なカーチェイスが幕を開けた。






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